小松亮一のコラムBOX

今月のテーマ「TVゲームにおける社会的功罪 2」

TVゲームについて、是非を論じる場合、前提となる2つの認識の立場がある。このことはどちらの立場に立つかによって、そもそものスタートラインが異なるのであり、両者が異なる立場の議論を統合するのは、非常に困難となる。この2つの立場のどちらかを採択するか否かの材料の幾つかは、先月論じたTVゲームの簡略した歴史の中で呈示したつもりである。

1つ目の立場は「TVゲームは生活上、必要というわけではなく、急にそれがなくなったからといって、ユーザーもしくは非ユーザー、あるいはそれに関わる人達の間で、混乱をきたし、それが社会的に大きな悪影響を及ぼすことはない。」とする立場である。2つめの立場は、「TVゲームは、ユーザーや非ユーザーの間において、程度の差はあるにしろ、生活上深く根ざしており、それらを排除することは不可能であり、また社会的にも無視できない地位を築いている。」というものである。このベースラインが異なると、議論は食い違うことは否めない。なお、前者の立場で、現在のTVゲームについて論じることは、まずない。あるとすれば、時代錯誤といわれても仕方のないことである。どうしてなのかは、先月のコラムに大半の答えは記述されている。15年前と現在とではTVゲームにおける社会的意味合いは、まるで異なっているのである。前者の立場で、議論することは、後者の立場からしてみれば「電気やガスや水道に頼らず、地力で生きるのが最も正しいことだ。」と言っているようなものであって、電気やガスなどが一度生活に根付いてしまって、またそこから生活そのものが変容したりしている世の中に、電気やガスをなくしてしまおうとする考えは、もし百歩譲ってそれが正しいとしても、ナンセンスであり、「あるかなしか」の二元論ではなく電気やガスのある生活の中で、いかにバランスの取れた人間らしい生活が保てるかの方が現実的で建設的な意見である。同じように、一度TVゲームが生活上根付いた世の中で「TVゲームはある方がよいか、ない方がよいか」という二元論は全くナンセンスであることが分かっていただけると思う。そうではなく、TVゲームのある生活の中で、いかにTVゲームと共生していくべきか、またTVゲームはどうあるべきかということを論じることの方が重要であり、意味のあることだと考えざるを得ないのである。

                              以上コラムでした。


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