小松亮一のコラムBOX

言葉を読むこと  2
 

 鉛のなかを

 ちょうちょが とんでゆく

          八木重吉「鉛と ちょうちょ」1925
                   詩集「秋の瞳」

 詩とは描く対象があって、言葉によってその対象を飾り立てるものだと、思ってい
る人はとても多い。詩人の中にも然りである。
 僕は詩は対象を飾るものではないと思っている。それどころか、僕は詩が描く対象
を持っているかどうかでさえ、怪しいと思っているのだ。ある物理的な固定的なもの
を、そのまま言葉にして表現しようとすることを詩と呼ぶのなら、詩など存在しなく
てもいいとさえ思うのである。
 ここからは、僕の詩論になるのだが、詩は対象そのものだと思うのである。つま
り、上の詩を例にとって見れば、対象は「鉛」でも「ちょうちょ」でもない。「鉛と
 ちょうちょ」という詩そのものであり、従って「鉛と ちょうちょ」という詩は一
体何を対象としているのか、という問いはナンセンスだといえる。
 言葉が言葉でなくなったときに、詩はできる。そのとき、詩は飾られた存在ではな
い。詩は詩そのものであり、考えられうる最もシンプルな形ではないかと思うのであ
る。

以上コラムでした。


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